昨日、エアコンが突然うんともすんとも言わなくなった。
今日、大家さん経由で電気屋さんに来て頂いた。
直して頂き、現在は通常運転中。
原因を尋ねてみたところ、
「電気信号のノイズだろうね。エアコンも基盤で動いているからね」
と。加えて、
「また不具合があったらコンセントを抜いて、また挿してみて」
とのことだった。
意外だな、という感想を抱いた。
PC(実家で使っていた古い機種)については時々そういう処置を施すこともあったけど、
エアコンにその考えを適用するのは思いも寄らなかった。
何はともあれ、また暑さを凌げそうで良かった。
なんでも私とほぼ同い年の機種とのことで、ここに住んでいる間は一緒に頑張ろうねと思った。
今日、大家さん経由で電気屋さんに来て頂いた。
直して頂き、現在は通常運転中。
原因を尋ねてみたところ、
「電気信号のノイズだろうね。エアコンも基盤で動いているからね」
と。加えて、
「また不具合があったらコンセントを抜いて、また挿してみて」
とのことだった。
意外だな、という感想を抱いた。
PC(実家で使っていた古い機種)については時々そういう処置を施すこともあったけど、
エアコンにその考えを適用するのは思いも寄らなかった。
何はともあれ、また暑さを凌げそうで良かった。
なんでも私とほぼ同い年の機種とのことで、ここに住んでいる間は一緒に頑張ろうねと思った。
PR
睡眠スタイルは早寝早起き、遅寝遅起き等の言葉で簡単に分類されるけど、
やりたいことを潔く明日に回す人、
寝ることを渋って起きるのも渋る人、
と、改めて咀嚼し直す。
私はというと、休日前夜に関しては後者の傾向が強い。
睡眠時間を削るという選択肢を今の私は持たないので、
今日を勿体無いと捉えるか、
明日を勿体無いと捉えるか、
の2択に大きく分けられる。
今日も明日も欲張ることは出来ない。
やりたいことを潔く明日に回す人、
寝ることを渋って起きるのも渋る人、
と、改めて咀嚼し直す。
私はというと、休日前夜に関しては後者の傾向が強い。
睡眠時間を削るという選択肢を今の私は持たないので、
今日を勿体無いと捉えるか、
明日を勿体無いと捉えるか、
の2択に大きく分けられる。
今日も明日も欲張ることは出来ない。
行けました、画材店!
正確に言えば、「連れて行って頂けました」…本当に感謝です。
懐かしさで感動するものと思いきや、店舗が拡張されていて、増設部分にコミック用品が移っていたという不意打ちを受けた。
そうすると元の売り場には何が…?と覗いてみたら、来ていたのは日本画用品。
店舗内にはイベントの一環なのか、顔彩や岩絵具をお試しできるコーナーがあったので、挑戦してみた。
店員さんに教わりながら、指を使って膠と練り合わせて、筆で掬うようにして紙に乗せる。
感覚としては、七宝焼きに近い物を感じた。
顔彩のほうは、使い方は固形水彩に似ているんだけど、色の伸び方が独特だった。
日本画専攻の人達はこういうのを使いこなしていたのか…と驚いたし、
在学中に出会ってみたかった画材だなあ、とも思った。
正確に言えば、「連れて行って頂けました」…本当に感謝です。
懐かしさで感動するものと思いきや、店舗が拡張されていて、増設部分にコミック用品が移っていたという不意打ちを受けた。
そうすると元の売り場には何が…?と覗いてみたら、来ていたのは日本画用品。
店舗内にはイベントの一環なのか、顔彩や岩絵具をお試しできるコーナーがあったので、挑戦してみた。
店員さんに教わりながら、指を使って膠と練り合わせて、筆で掬うようにして紙に乗せる。
感覚としては、七宝焼きに近い物を感じた。
顔彩のほうは、使い方は固形水彩に似ているんだけど、色の伸び方が独特だった。
日本画専攻の人達はこういうのを使いこなしていたのか…と驚いたし、
在学中に出会ってみたかった画材だなあ、とも思った。
自転車でプチ遠出して画材店に行きたいなあと思っているこの頃。
最近は休日の過ごし方が固定しつつあり、リズムが出来て良いのかなと思う反面、冒険したいという思いがむくむくと膨らんできている…
(茹でて作るケーキの調理過程をふと思い出した)
画材店、大学時代によく行っていたような専門性に特化した所に行きたい…。
最近はCGに傾いているから行く必要が無いといえばそれまでなんだけど。
それに画材店の楽しみって、作りたい物のイメージありきで、どの素材(や画材)を組み合わせて表現するかを、実物を見ながら頭の中で議論しまくるところにあるんだと思う。
着色用画材で新しい色を購入するときも。
そうした中で好奇心をそそられる物に出会い、
使い方をあれこれイメージしつつ、
また今度ねと自分をなだめつつ、
本来の目的の素材を検討しつつ、店内をうろうろする。
画材店に限ったことでは無いんだけど、とても個人的な考えなんだけど、
お店に行く楽しさは、
「何か良い物があるかな」よりも
「こういう物が欲しい!」の時のほうが大きいような気がした。
去る日曜日の父の日、具体的な物品を用意することが出来なかった。
母の日で燃え尽きたのかと思ったけど、おそらく違う。
「これをしたら喜ぶ!」というのを、父から見出せなかった。
きっと母のそれと共通していたりもするんだろうけど、「じゃあ●●を贈ろう」には直結しなかった。
改めて父との思い出を思い返してみると、
物よりも、
出来事よりも、
会話での思い出が大きかった。
物事に関する解釈だとか考えだとかを交わし合う会話、かな。
「子供の考え」として一蹴すること無く、
受け止めた上で、膨らまして返してくれる。または異なる視点を示してくれる。
どんなに感情的な事柄にも、具体的に返してくれた。
そんな、抽象的な思い出が大きかった。
父の日当日の夕刻、半ば苦し紛れに父に電話した。
返ってきたのは、
「声を聞かせてくれただけで充分だよ」
という言葉だった。
母の日で燃え尽きたのかと思ったけど、おそらく違う。
「これをしたら喜ぶ!」というのを、父から見出せなかった。
きっと母のそれと共通していたりもするんだろうけど、「じゃあ●●を贈ろう」には直結しなかった。
改めて父との思い出を思い返してみると、
物よりも、
出来事よりも、
会話での思い出が大きかった。
物事に関する解釈だとか考えだとかを交わし合う会話、かな。
「子供の考え」として一蹴すること無く、
受け止めた上で、膨らまして返してくれる。または異なる視点を示してくれる。
どんなに感情的な事柄にも、具体的に返してくれた。
そんな、抽象的な思い出が大きかった。
父の日当日の夕刻、半ば苦し紛れに父に電話した。
返ってきたのは、
「声を聞かせてくれただけで充分だよ」
という言葉だった。