高校時代の体育館シューズの寿命が尽きた。
高校卒業後は特に使われることも無く放置され、現在の仕事に通じる資格取得の講習にて再び使うようになり、そのまま職場でも履き続けた靴。
『もう』壊れたのか、『ようやく』壊れたのか、持ち主でありながら私には分からない。
ただ、
「あ、本当に壊れるんだな」
と思った。
いつもは靴の寿命がすぐ訪れるのだけど、この体育館シューズは何故か「高校3年間は使える」と信じて疑わなかったし、実際に3年間びくともしないまま卒業したものだから、「いずれ壊れる物だ」という意識がすっかり遠のいていた。
3年間+1年にも満たない期間を経て、この靴は役目を終えた。
こう書くと結構ギリギリの状態だったと思いがちになるけれど、
時間単位で計算すると高校3年間と同じかそれ以上履いていたのではと気付く。
(当時は体育の時ぐらいしか履かなかった)
だから靴にとっては、役目を終えて隠居したと思ったらいきなり引っ張り出されて生涯働き続けることになった、みたいな感覚だと思う。
本当、お疲れ様でした・ありがとう御座いました。
次期の靴、実は講習開始時に買ってあったんだなあ。
地元で購入した後で、「そういえばあの靴、使えるかも?」と再び履かれることになったのが、かの体育館シューズだった。
先日、知り合いの方(80代)から、
「人生で大きな夢を描くのはよしなさい。実現するのは難しいんだし、実現できないのを苦しく思うことになるんだから」
と、教わった。
これまでは「夢は大きく持つのが良い」という価値観を多く耳にしてきただけに、この見方は意外だった。「夢を大きく持つから意欲的になれる」というのに関しても、小さな夢でも良いんでない?と書きながら思ったぐらいには、自分は何も分かっちゃいなんだと思う。
かくいう私も人生において実現しようとする一本の大きな目標がある訳では無い。ただ、終わる時に後悔しないようにはしたいという程度。
もし今後、たまたま描いたのが大きな夢だったとしても、実現に追われること無く自由でありたいなあと、ぼんやり思った。
…正確に言えば、ボタンだけ作って放置していた図書館の絵を掲載しました。
それに伴い、ボタンの配置も若干変更しています。
……遅い!我ながら遅い!言い訳については前回記事をご参照ください…寄り道しすぎた。
こうやって次に更新せざるを得ない箇所を作ることで自分の首を絞める手法はやはり良くなかった。かといって改装前のルーベリー風景画みたいに、8枚で完結するように装っていざ9枚目が完成した時にレイアウトも変え…というのは大変だったんだなあ(遠い目)
今回はボタン配置の空きがあるので(それもそれで充分自分の首を絞めている)、あの時みたいに泣きを見ることは無いだろう…ということで、誰にもプレッシャーを掛けないゆったり運転でいこうと思った。
サイトに掲載した画像は過去記事から幾分か修正を加えています。
『Farbe』の、コーレニンの図書館。
とりあえず投下。サイト掲載時に微修正する可能性もあり。
内装をどうやったら上手いこと伝えられるかと、あーでもないこーでもないと構図を練り、
気がついたらこんなに時間が経っていた…。
というのもあるし、掲載する気のない小説の続きを書いていたら時間が経っていた。
今回ほぼ初めて「グリサイユ」という技法で描いてみた。
(白黒のみで描いて、後から色味を付ける技法)
背景画はこっちのほうが描きやすそうだと思った。
愛知どころか東海圏にすら無くて、思わずPCの前で唸った。
(在校生のみ受講できる大学なら、もしかしたらあるのかもしれない(※未調査))
一方でアートセラピスト養成講座はというと、これもこれで場所探しが難航しそうな予感…
これはもしかして資格という『形』から入るなという事なのかと勘ぐってしまう。
独学でプログラムについて学べなくは無さそうだし、幸いにも『あくまで現場スタッフが行うレク』として実践出来る場で働いている訳だし…(勤務時間外に時間を捻り出す必要はあるけど)
確かに「臨床美術士になりたい」訳では無いので、難しい事を考えずぼちぼちやってみれば良いかなと思った。
というか、実際に一度それっぽいもどきをやってみた。まだ試運転なので画材購入は自費で。よって1人分を2~3人で使ってみるという無茶振り…。
ごく短時間だったけど描いている人見ているだけの人交えて会話が弾んで笑顔も見られて嬉しかった!
けど!
偶然そこにあったモチーフから即興的にプログラムを考えるのが難しい!!
もっと先入観無く素直に「やってみたい」と思える描き方を提示できるように、実際にどんなプログラムが行われているかの引き出しを増やしたい。独学で学ぶのはここかな…。
もっとこう、自然にふわっと場が綻ぶ雰囲気を目指したいな…。