母への返信メールに冗談半分で「桜の写真を撮ったら見せてね~!」と付け加えたら、
翌日さっそく数枚の写真データが送られてきた。
地元の小さなお寺周辺の、桜の写真。
小中9年間、毎日のように見てきた場所だけど、
満開の桜の景色を見たのは『9回』で、
懐かしくもあり新鮮でもある風景が、それらの写真の中に収められていた。
簡単に写真をやりとりできる時代に感謝しながら写真を眺めていた私は、あることに気がついた。
これらの懐かしい景色は、創作として想像する風景に、確かな影響を及ぼしている。
「こういう雰囲気が好きで、つい影響を受けている!」とはまた別で。
心の奥深くの無意識の部分に、影響を受けている。
深く重くひんやりとしたその『影響』は、熱狂的なほうの『影響』に覆い被せられ、
だからなかなか気付かなかった。
地元の景色に影響を受けていることについては度々意識していたけど、
母からの写真にあった風景については盲点だった。
高校時代も、大学時代に帰省した際も、滅多に行かなかったエリアだから。
そういえば先月帰省した際、風景ががらっと変わっていた場所があった。
変わることは無いだろうと思っていた場所なだけに、
こうもあっさりと変わっちゃうんだなと驚かされた。
都度記録に収めるのってだいじなんだなあと、今、改めて思う。
翌日さっそく数枚の写真データが送られてきた。
地元の小さなお寺周辺の、桜の写真。
小中9年間、毎日のように見てきた場所だけど、
満開の桜の景色を見たのは『9回』で、
懐かしくもあり新鮮でもある風景が、それらの写真の中に収められていた。
簡単に写真をやりとりできる時代に感謝しながら写真を眺めていた私は、あることに気がついた。
これらの懐かしい景色は、創作として想像する風景に、確かな影響を及ぼしている。
「こういう雰囲気が好きで、つい影響を受けている!」とはまた別で。
心の奥深くの無意識の部分に、影響を受けている。
深く重くひんやりとしたその『影響』は、熱狂的なほうの『影響』に覆い被せられ、
だからなかなか気付かなかった。
地元の景色に影響を受けていることについては度々意識していたけど、
母からの写真にあった風景については盲点だった。
高校時代も、大学時代に帰省した際も、滅多に行かなかったエリアだから。
そういえば先月帰省した際、風景ががらっと変わっていた場所があった。
変わることは無いだろうと思っていた場所なだけに、
こうもあっさりと変わっちゃうんだなと驚かされた。
都度記録に収めるのってだいじなんだなあと、今、改めて思う。
PR
この記事にコメントする