『Farbe』の魔法族達が住む方の世界、某廊下部分のイメージ画。
PC画面によって色の変わりの振り幅が大きいような気がした一枚。
ウォーミングアップをゆっくり進めているような感覚だけど、習作レベルでも本家に掲載できるだけの枚数を重ねられると良いな…。
(追記)
同じく『Farbe』内。
2年前に描いたのを発掘した。
魔法族の一人・リヴィエの部屋。
魔法族が住む方の世界はまるごと屋内で、
魔法族は各自好きな部屋を見つけて住むふう。
大広間や廊下といった共有部は石造りで無機質な感じだけど、
ひとつひとつの部屋の中はバリエーション豊か。
住む魔法族の個性も反映されるし。
言ってしまえば何でも有りな国。
ルーベリーよりも制限が掛かっていながらも、何でも有りな国。
さあどうやってまとめようかと、途方に暮れかけている自分に気付く…。
自転車でプチ遠出して画材店に行きたいなあと思っているこの頃。
最近は休日の過ごし方が固定しつつあり、リズムが出来て良いのかなと思う反面、冒険したいという思いがむくむくと膨らんできている…
(茹でて作るケーキの調理過程をふと思い出した)
画材店、大学時代によく行っていたような専門性に特化した所に行きたい…。
最近はCGに傾いているから行く必要が無いといえばそれまでなんだけど。
それに画材店の楽しみって、作りたい物のイメージありきで、どの素材(や画材)を組み合わせて表現するかを、実物を見ながら頭の中で議論しまくるところにあるんだと思う。
着色用画材で新しい色を購入するときも。
そうした中で好奇心をそそられる物に出会い、
使い方をあれこれイメージしつつ、
また今度ねと自分をなだめつつ、
本来の目的の素材を検討しつつ、店内をうろうろする。
画材店に限ったことでは無いんだけど、とても個人的な考えなんだけど、
お店に行く楽しさは、
「何か良い物があるかな」よりも
「こういう物が欲しい!」の時のほうが大きいような気がした。
母の日で燃え尽きたのかと思ったけど、おそらく違う。
「これをしたら喜ぶ!」というのを、父から見出せなかった。
きっと母のそれと共通していたりもするんだろうけど、「じゃあ●●を贈ろう」には直結しなかった。
改めて父との思い出を思い返してみると、
物よりも、
出来事よりも、
会話での思い出が大きかった。
物事に関する解釈だとか考えだとかを交わし合う会話、かな。
「子供の考え」として一蹴すること無く、
受け止めた上で、膨らまして返してくれる。または異なる視点を示してくれる。
どんなに感情的な事柄にも、具体的に返してくれた。
そんな、抽象的な思い出が大きかった。
父の日当日の夕刻、半ば苦し紛れに父に電話した。
返ってきたのは、
「声を聞かせてくれただけで充分だよ」
という言葉だった。
『Farbe』の魔法族達が住む方の世界のイメージ画。
ちゃんとした形で出すのが遅すぎると、自分でも思った。
パースを敬遠しすぎてこっちの世界のはほぼ手つかずだった。猛省中。
絵は『大広間』という中心部で、いちばん無機質な造り。
もともと文化的変化があまり無い世界で、そもそも誰かが手作業で造り上げた風景では無い為、全体的に・特に共有部は無機質な造りになっている。
だからこそ自然溢れる双子の世界に憧れた者はいたし、
何処でもいいから無機質な世界から抜け出したいと願った者もいたし(相関図左下のラィ)、
いずれ変化が訪れるはずだ・遠い未来になら訪れるだろう・その変化を見たい、として行動に出た魔法族もいたし(『蕾杖』『蕾帽子』のズィナに関連した章)、
2つの世界の母体だった地球に飛び出した魔法族もいた(相関図のメイボセ、フーラル、リヴィエ)。
このイメージ画を本家サイトに載せようかと思ったけど、これ1枚だとちょおおっと習作寄りだし、【Others】の『ぽかぽかな部屋』(これも同じ世界内の絵)を合わせても2枚だし…ということで考え中…。
そろそろサイト自体に何かしら絵を追加したいんだけどな…。
ビューローを知ったばかりの頃(小学生)は特に、ビューローがある光景に憧れたなあ。
あったらお洒落だろうなと今も時々思うけど、
机部分の広さが明らかに足りないんだ…。
かといって天板の広さが大きな(幅1m以上)ビューローも、それはそれで違うんだ…。
机と棚がセットで、且つ机の天板を折り畳めて。
長い目で見て機能的かどうかはともかく、つくりとして興味深いと思うし、アンティークな雰囲気への憧れもあるのかもしれない。
某美術館の、アール・ヌーヴォーの家具の常設展示には見事に心を持って行かれたよね…